千葉県茂原市女子高生殺人事件の犯人は獄死する

あなたは千葉県茂原市女子高生殺人事件を覚えていますか?
私は明確に覚えています。なぜなら主犯の2人が私と同年代の人間だからです。
20歳で無期懲役をくらうとは、いったいどういう気持ちなのだろうと当時よく考えました。
ちなみこの事件の犯人が出所できる可能性は低いと思います。
今からその理由を説明します。
10年以上前の話ですが、当時報道されていたことやネット内に存在した裁判記録などを私の記憶を頼りに伝えます。
Contents
事件の概要(ごく簡単に)
千葉県茂原市女子高生殺人事件とは2004年12月22日未明に発生した殺人事件です。
事件の詳細はインターネットで調べれば出てくるので、ここで長々と書くつもりはありません。
殺害されたのは高中香織さん(17)。
犯人は斎藤義仁(20)、神明勝信(21)、少年(18)、少年(16)、少年(16)の計5人です。
ひったくり目的で始まり、その過程で高中さんをさらったものの犯行グループの中のひとりが間接的な知り合いだったので、犯罪がバレないよう彼女を殺害したという痛ましい事件です。

首にコードのようなものを巻かれ絞殺されたとのことですが、その現場はホテル活魚なる廃墟です。
千葉県で有名な心霊スポットとも言われるその現場は Google Earth で確認 することができます。
ひったくりの犯行時に高中さんと一緒にいた友人は難を逃れ、その方が警察に提供した情報により犯人は全員あっけなく逮捕され、最終的に主犯の2人である斎藤と神明には無期懲役が言い渡されました。
少年(18)は拘置所内で自殺しています。
当時は「事件への自責の念から自ら命を絶った」などと報道されましたが、これはメディアの決まり文句のようなもので、実際は無期懲役を求刑されている自らの運命に絶望しただけでしょう。
判決前に亡くなっています。
裁判の成り行き
ここからは私の記憶を頼りに書いていきます。
当時は大手新聞社のウェブサイトなどに裁判記録が掲載されていましたが、現在は全て削除されている模様です。
多少不正確なところがあるかもしれませんが、ご了承ください。
主に主犯格の斎藤と神明の2人に焦点を当てていきます。
犯人はことの重大性に気付いた


逮捕直後はあっけらかんとして取調べ中にニヤけていたらしく、捜査官が憤慨していたという話があります。
人ひとりを殺害しておいて、この態度はないですね。
ただし当時ネット上で読むことができた裁判記録によれば、公判中謝罪の言葉を述べる場では全員が意気消沈していたようで、リポーターの耳にもその声は届かなく、当時の記事でも「・・・(声が小さくて聞き取れず)」などと書かれていた記憶があります。
ちなみに斎藤は筋肉質でガッチリとした体型、神明は優男風の男性だったとのことです。
大きな少年犯罪となるとメディアが大挙して事件が発生したその土地に押しかけ、複数の知り合いなどにインタビューを行いますが、どうやらこの2人(特に斎藤)は茂原では知られた札付きのワルだったようです。
彼の父親は地元の暴力団組織の組長だったらしく斉藤自身も配下の組員となりますが、組織関係者の自動車を盗んだことが原因で破門処分を下されています。
また自分の姓から一文字取った「藤友会」なるグループを結成するとともに自らがトップに君臨し、襲撃時には金属バットで相手を叩きのめし、面識のない女性たちに対してはレイプを繰り返すなどやりたい放題だったようで、2000年代初頭に茂原市周辺で相当な悪名を轟かせていた人物だったそうです。
凶悪犯罪の犯人が実はいじめられっ子だったなどという話はよくありますが、彼らを知る地元の同世代の人たちが口をそろえて「バリバリのヤンキー(不良)だった」などと当時の取材で答えていたので、その街では相当名が通っていたと察します。
主犯の2人も当時はまだ20歳程度なので、「どうせ数年もすれば出所できるだろう」くらいに甘く考えていたのかもしれませんが、検察が無期懲役を求刑してからはさすがにヤバいと思ったのかもしれません。
または推測ですが、取調官の方に「当分シャバには出られんぞ!」くらいのことは言われていたのかもしれません。
神明は控訴を真剣に考えた
結果として平成17年11月16日に千葉地裁でこの両者には無期懲役が言い渡されました。
最終的に確定していますが、当時の記録によると神明は斎藤より数日遅れて判決を受け入れています。
このことから彼が控訴への強い意思を持っていたことがうかがえます。
神明は逮捕状が出た後一度逃亡しており、約1週間後に埼玉県上尾市内の知人宅で捕まりますが、逃亡中は精神的に相当こたえていたという話が伝わります。
彼は裁判中も懺悔の念を記した手紙を書いています。
私の記憶が若干曖昧ですが、これは遺族に当てた手紙だったかもしれません。
目的は言うまでもなく無期懲役を逃れるためです。重大事件を起こした犯人は往々にしてこのようなことをします。
ただし尊い命が奪われて間もない遺族が、このような工作に心を動かされるわけがありません。
ちなみに斎藤が同様のことをしたという記録は当時ありませんでした。
最終的に神明も無期の判決を受け入れています。
神明はなぜ無期懲役を受け入れたのか
では彼はなぜ無期懲役という絶望的な判決を受け入れたのでしょうか。
実際のところ彼にしか分かりません。
単なる推測ですが「無期以外はありえない」などという話を担当の弁護士さんあたりから聞いたのではないでしょうか。
斎藤と神明の両者は強盗殺人という罪状で裁判にかけられています。
知っている人もいると思いますが、この犯罪は罰則がものすごく厳しいのが特徴です。
刑法第240条で定められていますが、刑罰は無期懲役と死刑しかありません。
当事件はひったくり目的で始まっており、結果として被害者の方を殺害しています。
彼らが高中さんの遺棄現場から離れるときに、彼女の財布から金銭やその他金品を持ち去っている可能性はかなり高いといえるでしょう。
そうだとしたら、これは強盗殺人罪の完全な成立要件です。
私の記憶が正しければ、当時の担当弁護士の方はひったくりと殺害を時系列的に分けて事件を整理することでなんとか強盗殺人の成立を避けるという戦術を取り、「懲役20年程度が妥当である」ということを裁判で述べていたはずですが、そのような主張は裁判官に一蹴され強盗殺人として無期の判決が下っています。
弁護士の方も内心「強盗殺人を不成立にするのは正直無理がある」と思っていたのではないでしょうか。
神明も状況を理解し、これ以上裁判で争っても無意味だと観念したのでしょう。
斎藤と神明の2人は獄死の可能性すらある
少し前までは「無期でも10年程度で出所できる」などという都市伝説が流布されていましたが、最近は「最低でも30年」などと世間も無期懲役の厳しさに少しずつ気づいてきた感があります。
この事件の主犯2人に限って言えば、実際のところ30年でも出所はほぼ不可能です。
なぜなら余罪があまりにも多いからです。
斎藤はこの他にも強盗強姦や強盗致傷、また恐喝や障害、窃盗なども含まれます。
神明は強盗致傷や恐喝や窃盗なども含まれます。
当時の報道でも少年課の警察官と思われる方が「大きな罪で逮捕したいとは思っていたが、まさかこのような事件を起こすとは」というコメントを残していたので、犯罪には日常的に加担しており警察にもマークされていたのでしょう。
特に斎藤の余罪である強盗強姦などは状況次第で、これだけで無期が成立するような大罪です。
また被害者である高中さんを殺害する前に凌辱行為や激しい暴行に及んでおり、彼女の祖母は「(犯人たちを)八つ裂きにしてやりたい」と、そのやり場のない怒りを吐露しています。
無期懲役の実情を物語るものとしては、かつて報道特集が放送した「無期懲役の実態」なるものがあります。
よくできた内容ですが、これをみれば分かるとおり無期の人間が30年で出所できるなどということは非現実的です。
この特集で対象になっているのは、前科のない無期囚たちです。中には「今まで真面目に生きてきたが、突発的に殺人を犯してしまった」というような人も含まれているでしょう。
そのような人たちでも30年で仮釈放が認められていないのです。
前科もあり、凶悪な余罪を複数持つ斎藤と神明が30年で刑務所から出られるなどということは、まずありえません。
この2人が逮捕されたときの年齢は20-21歳ですが、仮釈放が認められるのは少なく見積もっても40年後で60歳、昨今のさらなる厳罰化の流れや彼らの余罪のことなども考慮に入れると、最終的には出所が認められずオリの中で寿命を終える可能性すらあります。
そして、その可能性は決して低くはありません。
現在の法務省の体制下では無期懲役の第1回目の仮釈放審査が開始されるのは30年が経過してからですが、それが却下された場合、次年度から1年に1回ずつ審査を受けられるといったものではありません。
2回目の審査開始時期は10年後、つまり収容から40年後なのです。
それが通らなかった場合はさらに10年後となりますが、この3回目が最終審査という扱いになっています。
理由は簡単で、当事件の犯人のように20歳という若年で刑務所生活を開始しても3回目ともなると50年後で70歳とかなりの高齢で、健全に社会復帰できる可能性は非常に低くなっており、4回目の審査が与えられる頃には日本人の平均寿命とほぼ変わらない年齢になってしまっているからです。
つまり仮釈放のチャンスはたったの3回なのです。
また昨今の仮釈放審査においては遺族の方々から直接意見をうかがい、そこから得られた意思がかなり深く尊重される傾向にあります。
この事件のように大切な人が悲惨な方法で殺害されてしまった場合、残された家族の間で「犯人の仮釈放には何が何でも反対するように」といったコンセンサスができている可能性は高いでしょう。
よって総合的に考えると斎藤と神明の2人がオリから解放される希望は相当薄いといえます。
ちなみに無期はその名のとおり「無期」なので、刑期に終わりがありません。運よくシャバに出られたとしても一生保護観察が付きます。
恩赦の対象となる可能性はほぼゼロです。つまり生涯自由が奪われた状態なのです。
斎藤はその判決に絶望した
自業自得とは言え、20歳で無期懲役は悲惨ですね。
人生を謳歌するべきハタチという年齢で、残りの長い生涯からほぼ全ての自由が奪われるというのは想像に絶します。
当時メディアで盛んに報じられたこの事件ですが、今でも印象深く記憶に残っていることがひとつあります。
夜の情報番組だったと思いますが、地裁での判決が下ったその日、男性ニュースキャスターの方が以下のように述べたのです。
判決を聞いた斎藤被告はひどく動揺していたとのことです。
この言葉は今でも明確に覚えています。
「動揺」のその内容とは一体なんだったのでしょうか。
おそらく気絶や発狂などではないでしょうか。
自身の運命に絶望したのでしょう。
ちなみに当時の裁判記録によると、彼は被害者である高中さんを殺害する意図はなかったのですが、拘置所で自殺した少年(18)の「殺すしかないっしょ」という軽いノリの提案や、そのときのまわりの雰囲気に流され最終的に殺害を決意し実行しています。
本来は無期に服する運命を持ち合わせていなかったはずなのに、人生たったひとつの判断ミスで全てを棒に振ってしまったのです。
まさしく「後悔先に立たず」ですね。
おそらく「なぜこのような状況に陥ってしまったのか」ということを獄中で数え切れないほど考えたでしょう。
おそらく今もまだ考え悩み続けているでしょう。
生きていると様々なストレスに見舞われますが、間違っても殺人だけはいけませんね。自分の人生も終わってしまいます。
同世代の人間が起こした事件ですが、私も身を引き締め犯罪に巻き込まれないよう生きて行きます。